Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#1.時間概念の欠如について 『ケーキの切れない非行少年たち』 (宮口 幸治)を読んで

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「時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの
世界で生きています。
場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。」 
(3章「想像力が弱ければ努力できない」の項)

ケーキの切れない非行少年たち | 本の要約サイト flier(フライヤー)

 

「このような子どもは、
今我慢したらいつかいいことがある
1ケ月後の部活の試合や定期試験に向けて頑張る
将来、○○になりたいから頑張ろう!
といった具体的な目標を立てるのが難しいのです。
目標が立てられない人は努力しなくなります。努力しないとどうなるのでしょうか。二つ困ったことが生じます。
一つは、努力しないと成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信がもてず、自己評価が低い状態から抜け出せないことです。
もう一つは、努力しないと他人の努力が理解できないことです。」

 

・・・この項では、軽度知的障害による時間概念欠如により、

未来の予定を立てて行動する習慣を構築できない、日々の行動がその後の人生にどう繋がっていくのか想像することすら出来ず、想像が出来なければ努力をすることが難しい・・・

という事が書かれています。
実は、それ以外にも日々の生活に与える影響は計り知れないです。

“時間の概念が欠如している状態“について、一般的に想像がつきにくいです。

当たり前すぎて “それが無い人がいる“ と言うことは知られていないのではないでしょうか

 

時間の概念は「5感」にこそ含まれていませんが、障害と認められても過言ではない程、日々の生活に与える影響が大きいです。

時として、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、と同等とも思えるほどの支障があるのです。

 

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実際に、時間の概念がないことで、どのような支障があるのか!?

少しでも参考になればと思い、なるべく詳細な実例を記載していくことにしました。

 

ひろ江 

・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 娘2人(健常児)
・職歴なし

 

 

事例:1 目先のゴールが最優先

 

母:ひろ江 31歳 
娘:陽子  4歳 

夏の正午、陽子は扇風機の前に居る。タイマーのスイッチをみつけ、設定方法を母に尋ねる。

ひろ江は洗濯物を干している。物干し竿と洗濯機の間を往復しながら陽子にから返事をする。

ひろ江 :設定すれば止まるでしょう

  (会話になっていない)(陽子と扇風機を見ることはしない)


陽子 :どうやれば止まるの? (再び尋ねる)


ひろ江 :止まるでしょう 

  (会話になっていない)

  (手を止めることなく、そのまま洗濯物を干し続ける)


陽子 :まだ止まらないよ


ひろ江 :止まるでしょう。

  (扇風機のところへ歩み寄ることはなく洗濯物を続ける)

扇風機が止まる瞬間を見たい陽子は扇風機の前でひたすら、止まるのを待っている。しかし設定が完了していない扇風機は止まらず強風で20~30分経過する。陽子は脱水気味になり、ぐったりする。

陽子 :なんだか気分が悪い。


ひろ江 :顔、青いわね、扇風機の風を連続で浴び続けると気持ち悪くなるのよねえ~

  (陽子に歩み寄ることもなく手を動かし続ける。)

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考察:
ひろ江は、洗濯物を終えるまで手をとめることが出来ない。

一旦手をとめて、扇風機の設定方法を教えれば済む話だが、

ひろ江は一連作業が完結するまで、動作を止めることが出来ない。

ひろ江は娘の体調が悪くなっても、内省することはない。

第3者からみれば酷い親にみえるかもしれない。

しかし、ひろ江にとっては、洗濯を干し終えるという目先のゴールが最優先事項であり、

その最中に何が起こっても優先順位を変えることが出来ない。

ひろ江の時間軸は短期スパンである。数分先までしか存在しない。

洗濯物は急がなければならない理由はないが、ひろ江には判らない。

洗濯が終わるまで急ぎ続ける。


更に、ひろ江は自己の行動を顧みるという認知機能をもちあわせていない。自己規範や内省という認知機能もない。

又、事実を繋げて考察できない。

よって我が子が体調を壊すことと、自分が無視した事実を

連続の事として捉えることが出来ない。

また体調が悪い我が子を看病するというイレギュラーには対応が出来ない。
時間の概念がないのみではなく、複合して出来ない事がある。

事例2:数分先を予測することが出来ない①

ひろ江:29歳
陽子 :2歳

ある夏、家族で海水浴に来ている。陽子は砂を集めて山を作っている。ひろ江は2~3メートル程はなれた所で娘を見ている。


陽子がふと顔をあげると母の姿がどこにもない。陽子は泣きながら母を探し始める。

砂浜は熱くて足の裏が痛いが、陽子は泣きながら母を探す。しばらくすると、ひろ江が遠くから歩いてくる。


陽子は泣きながらどこに居たのかと尋ねると、ひろ江は「旅館にタオルをとりに帰った」とすましている。

まったく悪びた様子もなくニコニコして答える。陽子は2歳ながらにして、母に疑念をいだく。

考察:
ひろ江は、先を読んで行動することが出来ない。

数分先のことも想像が出来ない。

超短期スパンの時間軸のなかで生きている。

海岸に2歳児をとりのこしたら、何がおこるか想像が出来ない。思った瞬間に行動をするのみである。判断能力もない。

たまたま陽子は誰にもさらわれず、事故にもあわず、幸運の結果として何事も起こらなかっただけである。

事例:3 数分先を予測できない②


ひろ江           :69歳
長女 ゆかり   :48歳
孫 エリ          :18歳(ベジタリアン

海外に住む孫のエリが日本に来た。ひろ江は珍しいものを食べさせてあげたいと思い、近所のもんじゃ店へエリを連れていく。

お店に入りメニューを広げる。

ひろ江:ベジタリアンだから魚は食べられないでしょ・・・、エビ・ダコもだめでしょ・・・だし汁もダメでしょ・・・チーズもダメでしょ・・・延々

エリ :(黙って頷く)


ひろ江 :店員を呼び、ベジタリアンのメニューはあるか尋ねる。


店員 :何も入っていないのは素ヤキソバしか無いです。

  (すでに店員の表情が険しい)


ゆかり :別に魚介アレルギーも無いし、お味噌汁は飲んでるのだから、だし汁はいいんじゃないの!?  

私達がもんじゃを食べている間、エリには素ヤキソバを食べさせるつもりだったの?


ひろ江 :じゃあ、いいの?魚が入っているのに本当にいいのか?どうするの?! (エリに詰め寄る)


エリ  :(こまって黙る)
ゆかり :(呆れる)

考察:
ひろ江はエリがベジタリアンであることを、最初から知っている。

しかし、もんじゃ店へ入りメニュを広げてから、これも、あれも食べられないだろうと詰問が始まる。

誰もまさかここで質問が始まるとは思わない。


下町のもんじゃ店にベジタリアン用のメニューがある筈も無い。

エリにもんじゃを食べさせたかったのであれば、半ば脅しのように魚が入っているぞと、言う必要もない。

むしろ最初からファミリーレストランにでも入れば良かったのではないか。

店員も呆れ、エリも困っている。

収拾がつかない状態になり、ゆかりが事態を収めるが

ひろ江は内省したり言動を鑑みる機能はないので、悪びれず子供のように無邪気にもんじゃを食べるのみである。

ひろ江には時間の概念がない。もんじゃへ行く前に、後先のことを考えることが出来ない。(数分先のことを予測できない)


更に、空気がよめない為、もんじゃ店の店員にベジタリアンのメニューがあるかを聞く。

更に追い打ちをかけるように、エリに「どうするのか、いいのか」と詰め寄る。

問題を広げるが、事の収集を図ることは考えられない。

結論:


ひろ江は時間の概念がなく、後先を考えることができない。

数分先のことを予測できない、それにより日常に多くの支障がある。

 

“時間の概念“ は当たり前すぎて、欠如している状態について想像すらできない。

 

 ー それが欠如することによる日常生活の支障

 ー 時には生命の危険にも及ぶことがある

 

5感にこそ含まれていないが、障害と認められても十分な程、日常生活に与える支障は大きい。

 

この投稿が少しでも参考になればと思い、今後も詳細をあげていきたいと思います。

(次回へ続く・・・)