Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#2.時間概念の欠如について 『ケーキの切れない非行少年たち』 (宮口 幸治)を読んで

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「時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの
世界で生きています。
場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。」 

(3章「想像力が弱ければ努力できない」の項)

本の要約サイト flier(フライヤー)

 

“時間の概念が欠如している状態“について、一般的に想像がつきにくいです。
当たり前すぎて “それが無い人が居る“ と言うことは知られていないのではないでしょうか。

時間の概念は「5感」にこそ含まれていませんが、障害と認められても過言ではない程、日々の生活に与える影響が大きいです。

時として、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、と同等とも思えるほどの支障があります。

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実際に、時間の概念がないことで、どのような支障があるのか!?少しでも参考になればと思い、なるべく詳細な実例を記載していくことにしました。

 

ひろ江 
・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 / 娘2人(健常児)
・職歴なし

事例4: 数分先の危険予測が出来ない①

 

ひろ江    :28歳
夫・タカシ  :35歳
長女     :3歳
次女     :1歳

 

ある夏の暑い日、夫タカシが珍しくプールに行きたいと言いだした。
市営プールに着くと、ひろ江は次女を抱っこ紐から降ろし、手すりも支えも無いベンチに置いた。
長女はまだ3歳で手がかかるが、ひろ江はべビーカーを買わず、抱っこ紐しか使わない。

当然、頭の重い乳児は、支えなければ頭から地面へ落ちる。額が切れ大量に出血する。プールはやめて近所の内科へ連れていく。(形成外科や外科ではなく、内科に連れていった理由は不明である)

当時の事をひろ江はこう話す。
「大量の血が出たので周りの人がジロジロみた」(←何故か大笑いする)
「内科の先生は、絆創膏を傷へ貼った。面倒くさいから縫わずに済ませたんでしょうよ・・・」
「珍しく(夫が)プールに行こうなんて言うから、こんなことになった」

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その後、次女の額の傷は大きく、誰かに会う度に傷のことを尋ねられるようになるが、ひろ江は傷を治そうとは思わない。傷があることで何か起きるか想像が出来ない。
この件から、やっぱりベビーカーを買おうと考えることもなかった。

考察:
ひろ江は数分先の事を予測できないので、子供を危険から守ることが出来ない。
又、乳児は支えないと頭から落ちるという常識が判らない。
事がおきても理解も反省もない為、他の多くの事例と同様、ひろ江がこの件から何かを吸収することは無い。

事例5: 数分先の危険予測が出来ない②

 

ひろ江 :32歳
長女  :8歳
次女  :5歳

昭和54年、台風20号が発生した。見たこともない豪雨をみて、姉妹は興奮し、近くの遊水地がどうなっているかを見に行くことにした。ひろ江は特に心配もせず娘達を外へ出した。
遊水地に水は溜まっていなかったが、豪風で次女の身体は、傘をもったまま空中にフワリと持ち上がった。すぐに地面に着地したので何事もなかった。

姉妹が外に居る間、祖母からひろ江に電話があったらしい。すごい台風なので心配して電話をかけてきた祖母は、子供達が外で遊んでいると聞いて驚き、ひろ江を注意した。「こんな嵐の中に子供を外に出すなんて何を考えているのか」と、滅多に怒らない祖母が怒ったらしい。しかし、ひろ江は、子供を探しに行くことはなく家で待っていた。

姉妹が家に帰ると、ひろ江はツンツンしていた。「あなた達のせいで私がお祖母ちゃんに怒られちゃったじゃない」 と言った。母の機嫌が悪いので姉妹は2階へ引っ込んだ。

まもなくして、ドーンという大きな音がして、斜め向かいの近所の塀が倒れて崩壊した。壊れたレンガは道路に散乱した。姉妹があと何分か遅く帰っていたら下敷きになっていただろう。偶然の結果として、幸運にも姉妹は無傷だった。母の替わりに守護霊が守ってくれたのであろうか。ひろ江は、娘達の幸運に感謝している様子はなかった。

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考察:
ひろ江は昨今にない台風をみても、台風が何をもたらすのか、想像することができない。よって危険予測が出来ない。

娘を外出させた事を注意されるが反省することはなく、娘達のせいで自分が怒られたと、他罰的である。
ひろ江は事実と自身の感情を別けて考えることが出来ない。

理解も反省もないので、ひろ江がこの件から何かしら教訓を得ることは無い。他の多くの事例と同様、ひろ江は年齢を重ねても、何かを吸収することはない。

結論:

母であるひろ江は、数分先の未来を予測できない。予測できなければ子供を危険から守ることは出来ない。姉妹が五体満足で生きているのは、偶然の幸運の連続である。

ひろ江は未来の予測ができないだけでなく、過去の事例から何かを吸収することもない。

ひろ江にとって、物事は短編小説のように独立している。 それらの情報が統合され、そこから何かしらの結果が導き出されることは ない。
 ひろ江は、過去-現在-未来 が繋がっていない。

“時間の概念“が欠如している状態“は、一般の人には想像がつきにくい。当たり前すぎて、それが無い人がいると言うことを私達の多くは知らない。しかし冒頭でも述べた通り・・・

時間の概念は「5感」にこそ含まれていないが、障害と認められても過言ではない程、支障は大きい。

少しでも参考になればと思い、今後も具体例をあげていくことにします。

(次回へ続く・・・)