Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#7.変化を受容できない・定型パターンへの執着

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ひろ江 

・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 / 娘2人(健常児)
・職歴なし

 

前項「#5ルーティン以外の選択肢をもたない」の項で

ひろ江の毎日は同じであり、昨日と今日、今日と明日、明日と1年後、

および10年後、20年後は

ひろ江にとって全部同じ日であると述べました。

又、それは子育てとは対極にあることも触れました。

 

この項では、ひろ江の育児について触れたいと思います。

 

変化を受容出来ないひろ江と育児

 

ひろ江は子供が日々成長して変化することを受容できない。

第二次成長期をむかえ、これまでにない速さで成長していく子供に対して、

ひろ江は全エネルギーと全余暇を使い

“子供が同じ状態であること”を保とうとしていた。

 

本来あるべきではない所に、ひろ江が発する強いエネルギーがあり、

それが不自然な気の流れを作っていた。

 

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次女は、第6感が大変強く、その不自然な気の流れをキャッチする。

母は、自分が子供のままでいることを願っている、と肌で感じる。

この頃、次女は日記に

「母は私が、いつまでも子供でいることを望んでいる」

と書いている。

 

次女が成長すればするほど、ひろ江のそのエネルギーは強くなり

次第にひろ江の執着ぶりは、ストーカーのようになっていく。

次女の変化を阻止すべく、全エネルギーを使おうとする。

次女の夢の中にもひろ江が登場するようになる。

夢の中のひろ江は執拗で、振り払っても離れることがない。

 

ひろ江はいつも直近のルーティンに向かって全力で急いでいるが

この時は、次女をめがけて全力で追いかけているような

錯覚を受ける。

ひろ江の顎や肩が次女にむかって突き出している様子からも

見て取れた。

 

陽子は、空気が薄く感じるようになる。

この頃から、次女の膝部分に軟骨が突出しはじめる。

外骨腫と呼ばれるものだった。

本来ない筈の場所に軟骨が形成されていく症状である。

後にこれは手術で切除することになる。

 

又、同じ時期から次女は心身に不調を来たし始める。

一番判りやすかったのは、悪夢をみるようになり、

朝の目覚めがよくないことである。

又、教科書や本を開いても活字が頭に入らない。

目は字を追っているのだが、内容が頭に入らない。

スッと意識が吸い込まれて昏睡することもある。

当然ながら、学業は不可能な状態になった。

明らかに病気と自覚したので受診が必要と思い、ひろ江に話す。

ひろ江は「そんな話は、聞きたくない」とヒステリーを起こし

話をブロックする。話はそこで終わってしまう。

ひろ江はイレギュラーには対応できず

問題解決能力は皆無である。

健康保険証はひろ江がもっているので自身で受診することも出来ない。

 

当時はスクールカウンセラーなども居ない。

子供は親を悪く言うことができない為、周囲に相談する事も出来ない。

まさにこのタイミングから、次女の人生が変わっていくことになる。

 

だんだん、軌道が狂い始めた陽子をみて、

ひろ江は、夫に 「陽子は自分に心配をかける。本当に嫌な子だ」 と

話すようになる。

 

ひろ江の理屈ではこうなる。
『定型パターンから外れると、自分は心配である
心配させる陽子が悪者であり、嫌な子である。』

 

娘の悪口を聞き、タカシは陽子を怒鳴りつける。

陽子の症状は更に悪化していく。

 

ひろ江は普段から、身内(兄弟姉妹、その子供、自身の娘、夫など)について 

“いい所のない人間だ” と悪く言う。
悪気は全くないが、事実と自分の感情を言語化できない為、
その感情を身内の悪口に置き換える。
ひろ江にとって、一番てっとり早い替わりの表現が
身内を悪者にすることである。
何ひとつ解決策にはならないが、ひろ江には判らない。

 

この頃は、次女がターゲットになり
「陽子はいいところがない、(だから私は被害者だ)」と
ほぼ毎日のように夫タカシに話すようになる。
家の中は、常にひろ江の悪口とタカシの怒鳴り声が続く。

 

陽子は適切な時期に治療をうけることが出来ず
成人してから、後に拒食症へと発展していくことになる。
拒食症は、母親との関係が影響していると医師から言われることになる。

考察:

このブログでは、スピリチャルな内容や主観は除き、

なるべく事実に基づいて記載をしているが

この時のひろ江の歪んだエネルギーは、確実にそこに存在していた。

本来あるべきではない所に、ひろ江が発する強いエネルギーがあり、

気の流れが変わっていた。

第6感の強い次女は、それを感知する。

 

一般的に、親は子供の成長を促すものであるが

ひろ江は明らかに次女の成長を望んでおらず

“変化のない状態“ 固執し続ける。

又、ひろ江の興味の対象は娘だけである。

ひろ江は、持ちうる全エネルギーと余暇を使って、次女に執着する。

 

発達障害の特徴として、下記があげられている。

-      いったん興味を持つと過剰といえるほど執着、愛着または没頭をしめす

-      同一性への固執、同じ習慣への異常なほどのこだわりを見せることがある

-      規則が崩れることを極端に嫌う傾向がある

 

この例に倣うとすれば、・・・

成長期の娘の変化を許容できないとひろ江は

障害ゆえだったかもしれない。

障害であれば、たしかに責任能力もないのだろう。

しかし、責任能力がなければ、何をしてもよいのだろうか。

 

映画『アイ・アム・サム(※)では、

適切なタイミングでソーシャルワーカーが関与し

慈悲深い里親が現れ、娘はひきとられる。

ハッピーエンドで終わる。

 

(※)『アイ・アム・サム』:サムは知的障害をもつ為、養育能力がないと判断され、娘は里親へ引き取られる。

 

しかし、ひろ江のように他人から障害が判らない場合は、ヘルプを得るのは

大変難しい。

ひろ江の人間関係は希薄で、ひろ江をよく知る人はいない。

 

ひろ江によって、娘たちは多くの情報を遮断され

社会との関わりを制限され、失われた時間がある。

昨今、流行っている親ガチャと言う言葉がある。

まさに、子供は親を選ぶことはできない。

アイ・アム・サム』ではソーシャルワーカーが関与し、親権者を変えるが

現実の世界では親を取り替えるなど、到底無理な話である。

 

子供は独立してから自力で、失われた時間を

取り戻していくしかないのであろう。

映画と現実は異なる。

 

このような現実に、社会が目を向けてほしいと筆者は思う。

発達障害の子をもつ親御さんへの情報は多く目にする。

しかし、知的障害者発達障害をもつ方に、

必ずしも保護者がいるとは限らない。

気づかれないまま大人になり、結婚し子供が生まれ

子供がヤングケアラーとなっている場合がある。

もしくは虐待の対象になっている事もある。

 

ひろ江のような存在は世の中に知られていない。

或いは、臭いものに蓋をするかのように、

パンドラの箱は開けられない場合もある。

少なくとも、ひろ江の家族の誰かしらは気づいていたのではないか。

エリートの兄弟姉妹とひろ江は誰がみても違いが大きい。

単なる出来の悪い子供と思っただろうか。

健常人として結婚をさせるしか、道はなかったのだろうか。

 

筆者は、このブログを通して、なるべく事実を伝えていくつもりである。

少しでもどなたかの参考になればと思う。

 

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