Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#10.ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。

f:id:Esnus:20211124142559p:plain

前項「#9自己を認識できない・自分が誰か判らない」
では、ひろ江はアイデンティティが確立されておらず、
自分の考えをもたない。
又、ひろ江のキャラクターは統一性がなく、
別人になる瞬間があるエピソードを話しました。

ひろ江は突然ひどい人になる瞬間もあれば
ある時は、常識的なことを言う場面もあります。

しかしながら、咄嗟に出る言葉については
やはり、ひろ江の本心とは切り離せないものに見えます。

今回は、ひろ江のネガティブな言葉の影響力について
話したいと思います。

事例1.

 

ひろ江はテレビなどで、障害のある子供をみると

「死んでくれたら、親はどんなにホッとするでしょうね」

咄嗟に言うことがある。

 

当時、近所には軽度知的障害のあるR子が住んでいた。

娘達も時折、遊ぶ機会があった。

R子は、障害者として特別学級には通わず

普通学級に通っていた。

R子は高校生になったある日、

公園の木で首を吊って自殺を図った。

娘達にとってはショッキングな事件であった。

 

ひろ江は、R子に同情を全く示さず

「普通学級じゃなく、特別学級に通わせればよかったのよ」と

主観で親を批判した。

更に 「親は死んでくれてホッとしているに違いない」と言った。

ひろ江に温かい血が通っていないように見える瞬間である。

 

事例2.

ひろ江:43歳

次女 :16歳

 

次女と電車に乗っていた際のこと。

向かい側に座った男子の顔をみて、

「見て、あの子のアバタ面。あんなに酷い」

声を潜めることもなく、臆面もなく言う。

次女は咄嗟に立ち上がり、車両を移動した。

 

事例3.

 

ひろ江は、夫タカシとの結婚については、こう話す。

「お見合いをして、気乗りしなかったが

イヤだな、イヤだなと最後まで言いながら結婚した。」

 

離婚しない理由については、こう話す。

「離婚すると、おばあちゃん(実母)に心配をかける」

「貴方たち(娘2人)が居るので、しょうがない。」

 

ひろ江は、わずか10歳前後の娘にむかって、

「しょうがなく結婚し、しょうがなく今の生活を続けている」と話す。

娘にとっては、自分の存在を否定されるような言葉であり

百害あって一利もない話である

しかし、娘は母が幸せを選択できるように応援する。

離婚できるように、仕事を見つけてはどうかと勧める。

しかし、ひろ江は何かしら行動を起こすことはなく

毎日おなじルーティンを繰り返す。

ひろ江は愚痴を言い続けるが、建設的な意見を言うことは皆無である。

f:id:Esnus:20211124143037j:plain

 

考察:

 

「#4.空気の読めなさと非常識な発言」では

ひろ江は発達障害の症状ゆえに、非常識な発言をするのではないかと

考察した。

この項で述べる、ひろ江のネガティブな発言も

明らかに常識を外れている為、障害によるものと筆者は考えている。

 

一般的に、母親は子供に手本になるよう振る舞うことが多い。

出来なくても、それらしく見えるよう努めようとする。

ひろ江の場合、まるで悪い手本を見せようとしているかのようである。

子を想う母の姿ではなく、5~6歳の子供のように見える。

 

それが発達障害のためか、知性のためか、或いは人格障害なのか

筆者には判らない。

いずれにしても、障害であれば、周囲の理解へ得られやすいが

それと判らなければ、“人でなし“と思われてしまうだろう。

ひろ江は障害をオープンにした方が生きやすい筈である。

 

 

マザーテレサの格言にこうある。

「5つの気をつけなさい」

- 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
- 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
- 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
- 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
- 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

思考 → 言葉 → 習慣 → 性格 → 運命が変わる

まさに、この通りで

ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。

 

 

f:id:Esnus:20211124143323j:plain

 

ひろ江は、自身の吐いた言葉通りの人間になり、

それがひろ江の生活環境をつくり、今の人生がある。

悪気がなかったとしても、ひろ江の吐いた言葉により

運気が滞り、人生は言葉通りに造られる。

 

現代でも有名な哲学書やそれに派生する著書がある。

 

「思考は現実化する」(ナポレオン ヒル)では

想いや思考が現実を作るという理論が書かれている。

人間の脳は、その人の思いを現実化してしまうと言う。

- 人間は自分が考えているような人間になる

- 意欲的な目標を立てれば、明日は今日よりもはるかに前進する

- 目標を持つだけでなく、それに向かった計画を立てること

という内容が書かれている。

 

引き寄せの法則」 (エスター・ヒックス/ジェリー・ヒックス)

思考(の波動)を通してさまざまなものを人生に引き寄せ、創造していると書かれている。

自分の中に周波数があり、その周波数にあったモノや人が引き寄せられてくる。

つまり・・・

「それ自身に似たものを引き寄せる」

「自分が考えたり意識したことが、現実として現れる」

依って、望まない結果も、実は自分自身が引き寄せているという。

 

インターネットが無い時代でも

日本では古来から「言葉には言霊が宿る」という思想があり

言語は表現の内容を実現することがあると言う。

 

f:id:Esnus:20211124142559p:plain

 

これだけ、古今東西で繰り返し、同じ格言を耳にする機会があるが

ひろ江は老年に至るまで、これらの言葉を耳にしなかったのであろうか。

 

ひろ江は言葉を選ぶことなく、空気を吐くようにネガテブな言葉を吐く。

これまで、身内の誰かしらが、忠告しなかったのも不思議である。

 

娘達は、母を悪く思うことができない為、

母の本心は悪気がないと、自分に言い聞かせる。

しかし、積極的に母と話したいとは思わない。

次第に足が遠のき、母との間に距離が生まれる。

いつでも、ひろ江と周囲の人には一定の距離がある。

 

繰り返しになるが、ひろ江のネガティブな発言は

年齢相応の常識や社会性が感じられず

障害によるものと筆者は考えている。

 

ひろ江は早い段階で受診をし

社会の理解やヘルプを得ながら暮らす方が

生きやすい筈である。

 

しかしながら、ひろ江は他罰的であり、内省することがない。

ひろ江の周囲には、常に不協和音があるが

自身の障害を夢にも疑わない。

障害とは死んでも認めないだろう。

 

早稲田メンタルクリニックの益田先生が仰るには

他罰の人は精神科にはほとんど来ないとのこと。

 

ひろ江を社会資源に繋げることは

並大抵ではない。

 

他罰的な人は心を病んだり

自責の念にかられることは無いので

精神科を受診しない。

Youtube Vol.6-9「他罰の人は精神科にはほとんど来ません」

【vol.6-9】他罰の人は精神科にはほとんど来ません / 家族関係の悩みが仕事に影響することも【精神科医・益田裕介/早稲田メンタルクリニック】 - YouTube

 

 

筆者は医師でもなく専門家でもなく、

ひとりの子供だった。

長年ひろ江をみてきたが、発達障害と結びついたのは

つい最近のことである。

発達障害に対する情報が広まったのは近年のことである。

筆者は、子供の頃から、ひろ江の言動が常識を外れていると思っていた為

発達障害の情報が、ひろ江のそれと繋がった。

 

当時は、発達障害はボーダーラインについて社会の認識なかった為、

世の中には、同じ境遇の子供達が沢山いると考える。

幼い子供であれば、親の障害を発見して受診を勧めるなど、

不可能に近い。

いまだに迷宮の中にいる方達を思うと

筆者は書かずにいられない想いになる。