Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#4. 空気の読めなさと非常識な発言

ひろ江は空気を読むことができず、非常識な発言をすることが頻回にある。

実例を記載する。

 

事例1:長女の病気

ひろ江 :42歳
長女  :18歳

 

長女のユカリは、その当時、膝の脱臼を繰り返すようになる。
近所の整形外科ではサポーターや湿布などが処方され、保存的な治療をされるが、その後も脱臼を繰り返す。


脱臼すると歩けなくなってしまう為、その都度病院へ通う。痛みも強く、学生生活にも支障がでる為、一番つらかったのは本人である。

原因は膝蓋骨(膝のお皿)が、半分外れている事に依るものだった。ひろ江からの遺伝である。

 

ある夜、ひろ江は家計簿をつけていたが、おもむろにユカリの所へ家計簿を持ってきた。

「ほら見て。あなたの医療費がこんなに掛かってるの。」と該当のページを見せた。まるでユカリが悪いとでも言わんばかりである。

 

ユカリは「信じられない」と一言で感情を表した。次女もその様子を呆れて見ていた。
しかし、ひろ江は悪びれもせず、経済的に損をしていることを伝えようとしていた。

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考察:

ひろ江は空気を読むことができず、非常識な発言をすることが頻回にある。相手が怒っても謝ることも反省することも皆無である。常に他罰的である。

 

この事例で、ひろ江にとって最も気にかかる事は “医療費が嵩み出費が増えること” である。 依って、それが非常識な発言だと理解できない。
しかし、ケガで苦しむ我が子よりも、自分の感情を最優先とするひろ江は、第3者からみれば、“人でなし“ のように見えてしまう。

 

事例2:次女の病気

ひろ江 :43歳
次女  :16歳

 

次女は成長期になってから、たびたび膝に痛みを感じるようになる。足を伸展できなくなり歩けなくなる事もある。


余りにも頻回なのでレントゲンを撮ったところ、両膝の軟骨が飛び出していることが判った。手術で摘出することになり入院した。骨を削る手術だった為、大きな痛みを伴い、術後すぐには歩けなかった。


そこの病院は完全看護ではなかった為、毎日付き添い人が必要だった。ひろ江は病院に通うことを嫌がり、あからさまに態度に出した。

 

「早く歩きなさいよ~」と言うようになり、しまいには

「とっとと歩きゃ、いいんだよ。」と言った。


次女の陽子は、いつもの母親らしい発言だなと思い、驚きもせず返事もしなかった。

 

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考察:

 

ひろ江の非常識な発言は日常茶飯事なので、娘達は免疫ができていて相手にすることもない。返事もしない。しかし第3者が聞いたなら、ひろ江の人格を疑うだろう。

 

ひろ江が本音を言う相手は限られている。もともと心を許せる人が少なく、人間関係が希薄である。第3者に本音をいう機会が少ないのは、ひろ江にとって幸いかもしれない。


しかしひろ江は、基本的に思った瞬間に言葉を発する為、止める間もなく、誰かしらに失言をする。


もともと、言語が拙いことに加えて、失言もあれば、ひろ江が人間関係を構築するのは容易ではないように見える。

 

ひろ江の非常識な発言や、空気の読めなさ、コミュニケーション能力の低さは、発達障害のせいもあるのかもしれない。昔は発達障害という概念がなく、見過ごされる障害だったよう。

 

発達障害に加えて知的な障害もあるひろ江が、どのような学生生活を送ったのかは不明である。ひろ江が学生時代の話をすることは殆どない。学生時代の話だけではなく、過去の話も未来についても殆ど話すことがない。ひろ江には過去と未来がなく、現在しか存在していないように見える。

 

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ひろ江は常に他罰的なので自責の念もなく、心を痛めることは無い。依って社会的なサポートを入れるのは容易ではない。
しかし知的な障害があれば一人で生きることはいずれ困難になるだろう。


ひろ江のような人は、障害をオープンにすれば、周囲から考慮され、生きやすくなるのではないだろうか。

 

 

 

#3.時間概念の欠如について 『ケーキの切れない非行少年たち』 (宮口 幸治)を読んで

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「時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。」 

(3章「想像力が弱ければ努力できない」の項)本の要約サイト flier(フライヤー)


・・・この項では、軽度知的障害による時間概念欠如により 未来の予定を立てて行動する習慣を構築できない、日々の行動がその後の人生にどう繋がっていくのか想像することすら出来ず、想像が出来なければ努力をすることが難しい・・・


という事が書かれています。実は、それ以外にも日々の生活に与える影響は計り知れないのです。 前項から引き続き、時間の概念の欠如により起こりうる事例をあげます。

“時間の概念が欠如している状態“について、一般的に想像がつきにくいです。当たり前すぎて “それが無い人が居る“ と言うことは知られていないのではないでしょうか。


時間の概念は「5感」にこそ含まれていませんが、障害と認められても過言ではない程、日々の生活に与える影響が大きいです。時として、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、と同等とも思えるほどの支障があるのです。

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 実際に、時間の概念がないことで、どのような支障があるのか!? 

 少しでも参考になればと思い、なるべく詳細な実例を記載していくことにしました。



事例6: 数分先の予測が出来ない

 

ひろ江 :37歳
次女  :10歳

 

ある冬の日、ストーブの石油がなくなったので、ひろ江は石油を注ぎ足した。石油缶の蓋をしめる際、蓋は水平ではなく斜めに被さったので、閉まらない。蓋を水平に置きなおせば簡単に閉まるのだが、ひろ江は斜めになった蓋を力づくで締め上げた。当然、蓋は閉まらなかった。

 

ひろ江は2階から大工道具を持ってきた。

中から金槌を取り出し、金槌で石油缶の蓋をガンガンと叩いた。

蓋は変形して奥へ引っ込んだ。当然ながら、蓋は元に戻らず開かなくなった。

空かなくなった蓋を見て、ひろ江はホームセンターへ行ってスパナを買ってきた。

スパナでこじ開け、蓋はようやく開いた。

 

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その場に居た次女は、一部始終を見ていた。未だ10歳だったが、強烈な光景だった為、この光景を忘れることはなく、母の異常さを改めて意識するようになる。成人してからも決して忘れることもない光景である。

 

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ある日、母親にこの時の事を覚えているか尋ねてみたところ、ひろ江は覚えていたが 
「蓋を開ける為に金槌で叩いた」と言う。
「開けようとしたのではなく、閉めようとして叩いたのでしょう」と言い直しても「開けようとした」と言う。「開ける」「閉める」は反対の語彙であるが、ひろ江は語彙の間違いに気づかない。

又、「蓋は開いたのだから、結果オーライじゃない」と言うのみで、自身の異常さに、気づくことは無い。他の多くの例と同様、ひろ江は何かの事例から学びを得て、次に繋がることは無い。

 

考察:


ひろ江はこの時、“蓋を閉める方法“ として、“金槌で蓋を叩く”という選択肢をとる。

金槌で叩けば蓋は変形して元に戻らなくなることまでは、予測していない。

2~3分先の事が予測できていない状況である。


小学校1年生でもおそらく、金槌で蓋を叩いたらどうなるか予測できる。
この事例は数分先を予測できない事に依るが、問題解決能力の低さもあるのではないか。両方なのかもしれない。

もしかすると、ひろ江の知能レベルは5歳もないのではないかとも思える。

 

結論:


時間の概念の欠如により、ひろ江が日常生活にどれくらい支障をきたしているのか、計り知れない。

しかしながら、ひろ江はほとんど社会参画することなく、閉じた環境で生活している為、指摘される機会もない。世間の人はひろ江の障害に気づかない。
或いは、気づく機会があったとしても、関わりたくないと思ったかもしれない。


ひろ江の母親、兄弟、姉妹はどの程度、ひろ江を理解していたかは不明である。年齢が離れた末っ子をどう見ていたか、今となっては判らない。


ひろ江の夫であるタカシは、ひろ江の特徴を障害ではなく、性格だと思っている為、日常的にすごい剣幕でひろ江を怒鳴りつけていた。

「人間は頭で理解できるが、お前は頭では理解できないから、家畜のように鞭で引っぱたき、身体反射で覚えさせれば、習得するのだろう」

と辛辣な言葉を吐いていた。時折、「死んじゃったらどうだ」と言うこともあった。心の底から呆れていたことは確かである。

家庭の中は怒鳴り声が絶えず、家庭として機能していなかった。


タカシがひろ江の障害を気づいていたなら、状況は少し違ったかもしれない。社会資源の活用が出来たかもしれない。

ひろ江にとっては、怒鳴られながら暮らすよりも、障害者として暮らすほうが幸せだったのではないか。

時間の概念欠如のみならず、複合した障害があれば、社会生活はもとより母親業は困難な筈である。

 

子供達にとっても”母親”が必要だった。子供が10歳を過ぎた頃には、ひろ江は子供の会話についていくことが困難になっていた。


複雑な話は理解できず、会話も3文節程に短く切り、ゆっくり話さないと、ひろ江は聞き取れず何度も聞きなおす。

同じ話をかみ砕いて繰り返せば、話を最後まで聞ける。しかし内容をどの程度理解できているかは不明である。


話を最後まで聞けたとしても、母親としての意見を言ったり、必要に応じて助言や、問題解決へ導く、等のアウトプットは無く、聞いて終わりである。

 

次第に家族は、口が重くなり、ひろ江に話かけなくなる。ひろ江と話す際はトピックを選び、ひろ江が理解できる話をする。

紙芝居のような単純明快でひろ江が意見を言う必要のない話をする。しかしながら、そんなトピックが常時ある筈がなかった。


必然的に家の中は暗くなり、機能不全の家になった。
夫タカシの怒鳴り声だけがいつも、響いていた。

 

何故、早期に障害に気づく方法が無かったのだろうか。当時はスクリーニング方法も今とは異なる。

それにしても、これほどの障害に気づく方法は無かったのだろうか。近しい人も気づかないものだろうか。

 

時間の概念の欠如による支障は、人生終焉になるまで分単位で続く。その家族へも影響を及ぼす。これほどの障害をスクリーニングできる方法があって然るべきである。

近い将来、出来ていることを切に願い、その為にもこのブログでは情報を発信していくつもりである。

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知的障害であれば、障害は時間概念の欠如のみに留まらない。ひろ江のように、複合した障害が重なっている。

 

事項ではそれについて、詳細を述べていきたいと思います。

 

(次項へ続く・・・)

#2.時間概念の欠如について 『ケーキの切れない非行少年たち』 (宮口 幸治)を読んで

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「時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの
世界で生きています。
場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。」 

(3章「想像力が弱ければ努力できない」の項)

本の要約サイト flier(フライヤー)

 

“時間の概念が欠如している状態“について、一般的に想像がつきにくいです。
当たり前すぎて “それが無い人が居る“ と言うことは知られていないのではないでしょうか。

時間の概念は「5感」にこそ含まれていませんが、障害と認められても過言ではない程、日々の生活に与える影響が大きいです。

時として、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、と同等とも思えるほどの支障があります。

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実際に、時間の概念がないことで、どのような支障があるのか!?少しでも参考になればと思い、なるべく詳細な実例を記載していくことにしました。

 

ひろ江 
・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 / 娘2人(健常児)
・職歴なし

事例4: 数分先の危険予測が出来ない①

 

ひろ江    :28歳
夫・タカシ  :35歳
長女     :3歳
次女     :1歳

 

ある夏の暑い日、夫タカシが珍しくプールに行きたいと言いだした。
市営プールに着くと、ひろ江は次女を抱っこ紐から降ろし、手すりも支えも無いベンチに置いた。
長女はまだ3歳で手がかかるが、ひろ江はべビーカーを買わず、抱っこ紐しか使わない。

当然、頭の重い乳児は、支えなければ頭から地面へ落ちる。額が切れ大量に出血する。プールはやめて近所の内科へ連れていく。(形成外科や外科ではなく、内科に連れていった理由は不明である)

当時の事をひろ江はこう話す。
「大量の血が出たので周りの人がジロジロみた」(←何故か大笑いする)
「内科の先生は、絆創膏を傷へ貼った。面倒くさいから縫わずに済ませたんでしょうよ・・・」
「珍しく(夫が)プールに行こうなんて言うから、こんなことになった」

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その後、次女の額の傷は大きく、誰かに会う度に傷のことを尋ねられるようになるが、ひろ江は傷を治そうとは思わない。傷があることで何か起きるか想像が出来ない。
この件から、やっぱりベビーカーを買おうと考えることもなかった。

考察:
ひろ江は数分先の事を予測できないので、子供を危険から守ることが出来ない。
又、乳児は支えないと頭から落ちるという常識が判らない。
事がおきても理解も反省もない為、他の多くの事例と同様、ひろ江がこの件から何かを吸収することは無い。

事例5: 数分先の危険予測が出来ない②

 

ひろ江 :32歳
長女  :8歳
次女  :5歳

昭和54年、台風20号が発生した。見たこともない豪雨をみて、姉妹は興奮し、近くの遊水地がどうなっているかを見に行くことにした。ひろ江は特に心配もせず娘達を外へ出した。
遊水地に水は溜まっていなかったが、豪風で次女の身体は、傘をもったまま空中にフワリと持ち上がった。すぐに地面に着地したので何事もなかった。

姉妹が外に居る間、祖母からひろ江に電話があったらしい。すごい台風なので心配して電話をかけてきた祖母は、子供達が外で遊んでいると聞いて驚き、ひろ江を注意した。「こんな嵐の中に子供を外に出すなんて何を考えているのか」と、滅多に怒らない祖母が怒ったらしい。しかし、ひろ江は、子供を探しに行くことはなく家で待っていた。

姉妹が家に帰ると、ひろ江はツンツンしていた。「あなた達のせいで私がお祖母ちゃんに怒られちゃったじゃない」 と言った。母の機嫌が悪いので姉妹は2階へ引っ込んだ。

まもなくして、ドーンという大きな音がして、斜め向かいの近所の塀が倒れて崩壊した。壊れたレンガは道路に散乱した。姉妹があと何分か遅く帰っていたら下敷きになっていただろう。偶然の結果として、幸運にも姉妹は無傷だった。母の替わりに守護霊が守ってくれたのであろうか。ひろ江は、娘達の幸運に感謝している様子はなかった。

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考察:
ひろ江は昨今にない台風をみても、台風が何をもたらすのか、想像することができない。よって危険予測が出来ない。

娘を外出させた事を注意されるが反省することはなく、娘達のせいで自分が怒られたと、他罰的である。
ひろ江は事実と自身の感情を別けて考えることが出来ない。

理解も反省もないので、ひろ江がこの件から何かしら教訓を得ることは無い。他の多くの事例と同様、ひろ江は年齢を重ねても、何かを吸収することはない。

結論:

母であるひろ江は、数分先の未来を予測できない。予測できなければ子供を危険から守ることは出来ない。姉妹が五体満足で生きているのは、偶然の幸運の連続である。

ひろ江は未来の予測ができないだけでなく、過去の事例から何かを吸収することもない。

ひろ江にとって、物事は短編小説のように独立している。 それらの情報が統合され、そこから何かしらの結果が導き出されることは ない。
 ひろ江は、過去-現在-未来 が繋がっていない。

“時間の概念“が欠如している状態“は、一般の人には想像がつきにくい。当たり前すぎて、それが無い人がいると言うことを私達の多くは知らない。しかし冒頭でも述べた通り・・・

時間の概念は「5感」にこそ含まれていないが、障害と認められても過言ではない程、支障は大きい。

少しでも参考になればと思い、今後も具体例をあげていくことにします。

(次回へ続く・・・)

 

#1.時間概念の欠如について 『ケーキの切れない非行少年たち』 (宮口 幸治)を読んで

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「時間の概念が弱い子どもは”昨日””今日””明日”の3日間くらいの
世界で生きています。
場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。」 
(3章「想像力が弱ければ努力できない」の項)

ケーキの切れない非行少年たち | 本の要約サイト flier(フライヤー)

 

「このような子どもは、
今我慢したらいつかいいことがある
1ケ月後の部活の試合や定期試験に向けて頑張る
将来、○○になりたいから頑張ろう!
といった具体的な目標を立てるのが難しいのです。
目標が立てられない人は努力しなくなります。努力しないとどうなるのでしょうか。二つ困ったことが生じます。
一つは、努力しないと成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信がもてず、自己評価が低い状態から抜け出せないことです。
もう一つは、努力しないと他人の努力が理解できないことです。」

 

・・・この項では、軽度知的障害による時間概念欠如により、

未来の予定を立てて行動する習慣を構築できない、日々の行動がその後の人生にどう繋がっていくのか想像することすら出来ず、想像が出来なければ努力をすることが難しい・・・

という事が書かれています。
実は、それ以外にも日々の生活に与える影響は計り知れないです。

“時間の概念が欠如している状態“について、一般的に想像がつきにくいです。

当たり前すぎて “それが無い人がいる“ と言うことは知られていないのではないでしょうか

 

時間の概念は「5感」にこそ含まれていませんが、障害と認められても過言ではない程、日々の生活に与える影響が大きいです。

時として、目が見えない、耳が聞こえない、言葉が話せない、と同等とも思えるほどの支障があるのです。

 

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実際に、時間の概念がないことで、どのような支障があるのか!?

少しでも参考になればと思い、なるべく詳細な実例を記載していくことにしました。

 

ひろ江 

・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 娘2人(健常児)
・職歴なし

 

 

事例:1 目先のゴールが最優先

 

母:ひろ江 31歳 
娘:陽子  4歳 

夏の正午、陽子は扇風機の前に居る。タイマーのスイッチをみつけ、設定方法を母に尋ねる。

ひろ江は洗濯物を干している。物干し竿と洗濯機の間を往復しながら陽子にから返事をする。

ひろ江 :設定すれば止まるでしょう

  (会話になっていない)(陽子と扇風機を見ることはしない)


陽子 :どうやれば止まるの? (再び尋ねる)


ひろ江 :止まるでしょう 

  (会話になっていない)

  (手を止めることなく、そのまま洗濯物を干し続ける)


陽子 :まだ止まらないよ


ひろ江 :止まるでしょう。

  (扇風機のところへ歩み寄ることはなく洗濯物を続ける)

扇風機が止まる瞬間を見たい陽子は扇風機の前でひたすら、止まるのを待っている。しかし設定が完了していない扇風機は止まらず強風で20~30分経過する。陽子は脱水気味になり、ぐったりする。

陽子 :なんだか気分が悪い。


ひろ江 :顔、青いわね、扇風機の風を連続で浴び続けると気持ち悪くなるのよねえ~

  (陽子に歩み寄ることもなく手を動かし続ける。)

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考察:
ひろ江は、洗濯物を終えるまで手をとめることが出来ない。

一旦手をとめて、扇風機の設定方法を教えれば済む話だが、

ひろ江は一連作業が完結するまで、動作を止めることが出来ない。

ひろ江は娘の体調が悪くなっても、内省することはない。

第3者からみれば酷い親にみえるかもしれない。

しかし、ひろ江にとっては、洗濯を干し終えるという目先のゴールが最優先事項であり、

その最中に何が起こっても優先順位を変えることが出来ない。

ひろ江の時間軸は短期スパンである。数分先までしか存在しない。

洗濯物は急がなければならない理由はないが、ひろ江には判らない。

洗濯が終わるまで急ぎ続ける。


更に、ひろ江は自己の行動を顧みるという認知機能をもちあわせていない。自己規範や内省という認知機能もない。

又、事実を繋げて考察できない。

よって我が子が体調を壊すことと、自分が無視した事実を

連続の事として捉えることが出来ない。

また体調が悪い我が子を看病するというイレギュラーには対応が出来ない。
時間の概念がないのみではなく、複合して出来ない事がある。

事例2:数分先を予測することが出来ない①

ひろ江:29歳
陽子 :2歳

ある夏、家族で海水浴に来ている。陽子は砂を集めて山を作っている。ひろ江は2~3メートル程はなれた所で娘を見ている。


陽子がふと顔をあげると母の姿がどこにもない。陽子は泣きながら母を探し始める。

砂浜は熱くて足の裏が痛いが、陽子は泣きながら母を探す。しばらくすると、ひろ江が遠くから歩いてくる。


陽子は泣きながらどこに居たのかと尋ねると、ひろ江は「旅館にタオルをとりに帰った」とすましている。

まったく悪びた様子もなくニコニコして答える。陽子は2歳ながらにして、母に疑念をいだく。

考察:
ひろ江は、先を読んで行動することが出来ない。

数分先のことも想像が出来ない。

超短期スパンの時間軸のなかで生きている。

海岸に2歳児をとりのこしたら、何がおこるか想像が出来ない。思った瞬間に行動をするのみである。判断能力もない。

たまたま陽子は誰にもさらわれず、事故にもあわず、幸運の結果として何事も起こらなかっただけである。

事例:3 数分先を予測できない②


ひろ江           :69歳
長女 ゆかり   :48歳
孫 エリ          :18歳(ベジタリアン

海外に住む孫のエリが日本に来た。ひろ江は珍しいものを食べさせてあげたいと思い、近所のもんじゃ店へエリを連れていく。

お店に入りメニューを広げる。

ひろ江:ベジタリアンだから魚は食べられないでしょ・・・、エビ・ダコもだめでしょ・・・だし汁もダメでしょ・・・チーズもダメでしょ・・・延々

エリ :(黙って頷く)


ひろ江 :店員を呼び、ベジタリアンのメニューはあるか尋ねる。


店員 :何も入っていないのは素ヤキソバしか無いです。

  (すでに店員の表情が険しい)


ゆかり :別に魚介アレルギーも無いし、お味噌汁は飲んでるのだから、だし汁はいいんじゃないの!?  

私達がもんじゃを食べている間、エリには素ヤキソバを食べさせるつもりだったの?


ひろ江 :じゃあ、いいの?魚が入っているのに本当にいいのか?どうするの?! (エリに詰め寄る)


エリ  :(こまって黙る)
ゆかり :(呆れる)

考察:
ひろ江はエリがベジタリアンであることを、最初から知っている。

しかし、もんじゃ店へ入りメニュを広げてから、これも、あれも食べられないだろうと詰問が始まる。

誰もまさかここで質問が始まるとは思わない。


下町のもんじゃ店にベジタリアン用のメニューがある筈も無い。

エリにもんじゃを食べさせたかったのであれば、半ば脅しのように魚が入っているぞと、言う必要もない。

むしろ最初からファミリーレストランにでも入れば良かったのではないか。

店員も呆れ、エリも困っている。

収拾がつかない状態になり、ゆかりが事態を収めるが

ひろ江は内省したり言動を鑑みる機能はないので、悪びれず子供のように無邪気にもんじゃを食べるのみである。

ひろ江には時間の概念がない。もんじゃへ行く前に、後先のことを考えることが出来ない。(数分先のことを予測できない)


更に、空気がよめない為、もんじゃ店の店員にベジタリアンのメニューがあるかを聞く。

更に追い打ちをかけるように、エリに「どうするのか、いいのか」と詰め寄る。

問題を広げるが、事の収集を図ることは考えられない。

結論:


ひろ江は時間の概念がなく、後先を考えることができない。

数分先のことを予測できない、それにより日常に多くの支障がある。

 

“時間の概念“ は当たり前すぎて、欠如している状態について想像すらできない。

 

 ー それが欠如することによる日常生活の支障

 ー 時には生命の危険にも及ぶことがある

 

5感にこそ含まれていないが、障害と認められても十分な程、日常生活に与える支障は大きい。

 

この投稿が少しでも参考になればと思い、今後も詳細をあげていきたいと思います。

(次回へ続く・・・)

#母親の知的障害について(Yahoo知恵袋より)

 

 

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#母親の知的障害について(Yahoo知恵袋より)

Yahoo知恵袋で下記の書き込みを拝見しました。同じ境遇の方を探されていたようです。今からでもご連絡をしたいくらいですが、連絡手段がなく残念です。

このブログが質問者さんの目に留まりますように。
及び、同じような境遇の方がおられたら連絡をお待ちしています。

質問者さん.1

 

 

pea********さん
2013/10/10 12:01

 

知的障害者の母を持つ娘39歳です。 同じ境遇の方いませんか?
子供の頃の嫌な思い出(トラウマ)を引きずっています。
母は中度でIQ51です。女手一つで育ててくれました。
愛情は人一倍でしたが 、人並みな事が出来ずに、
実際は母からものすごく迷惑をかけられたり、
母の間違いを正しても理解されずに悔しい思いをしました。
母であるプライドが邪魔して娘の指摘を聞き入れてくれませんでした。
私が大人になるまで、知的障害者だと分からずにいました。
昔ですから、人よりかなり理解力がないなと思われているだけでした。
今は私も自立し子供がいます。母は69歳で老人ホームに入っているので、
ケンカやトラブルもなく、お互い時々会って仲良くしています。
母を愛しています。 私と同じ境遇で苦労を乗り越えたという方、
ぜひご連絡下さい!お願いします。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13114733728

 

 

質問者さん.2

gby********さん
2009/3/19 0:56

私の母は知的障害です。IQ35(8歳程度?)
母方の祖父母はそのことを調べずに父と結婚させて私と弟が生まれました。
昭和30年代以降で家族の中に障害者への偏見って多かったんですか?
国に制度がなかったので調べても仕方がないって思うものなんですか?
それから、知的障害が子供を産んで育てるということを
普通心配に思わないんでしょうか?
ちなみに、もう私も弟も成人してるので
「死ななかったから良かったじゃない^^」と 親戚に言われると、
どいしようもなく腹が立ちます。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1124292461