Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#11.自己を認識できない・自分が誰か判らない②

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#9.自己を認識できない・自分が誰か判らない

では、下記について書きました。

        ・自分が誰か判らない

        ・他者と自分の区別

        ・長期的なビジョンを描けない

 

他者と自分の区別がつかず、

時折、他者になりきってしまうひろ江について

読者の方から驚いたというコメントをいただきました。

この症状については不可思議で

筆者自身、他の精神疾患も疑いました。

 

そんな折に、加藤進昌先生の記事(※)を読み

謎がとける思いでした。

今回はそれについて補足をしたいと思います。

 

自己像がない

 

発達障害の自己認識の弱さについて、加藤先生は

以下のように述べられている。

 

【成人発達障害専門外来とリハビリテーション】(※)
自分のモノと人のモノとの境界がすごく曖昧である。

それは単に持ち物だけではなくて、

お金や人間関係、地位、立場といったこともそうです。
…こういうつかみどころがない、自己像がないという感じは、

彼らの特徴の一番深いところにあるように思います。

だからカウンセリングはほとんど役に立ちません。

…特にこういう自己像認知、自分が何者かという認知が、

一番深いところで決定的に欠けているように思われます。
(昭和大学附属烏山病院病院長 加藤進昌)

 

ひろ江の場合はつまり・・・

人と自分の境目が曖昧すぎて、

「地位や立場さえも、相手になりきってしまう」

これに該当すると思われる。

 

------------------------------------------

 

ひろ江の兄弟姉妹は、スーパーエリートである。

彼等は、子供の頃から、何をやってもトップの位置に居る。

彼等は学歴や経歴など、常にハイステータスである。

ひろ江は、家庭で兄弟姉妹をみていたので、記憶に焼き付いている。

学歴の話になると、無意識のうちに

自身がスーパーエリートとして話し始める(彼等になりきってしまう)

 

------------------------------------------

 

第3者からみると、大変奇妙な光景である。

多重人格者のようにみえてしまう。

ひろ江は自己認知が低く、自分が誰だか判らず、

等身大の自分を見ることが出来ない。

 

等身大の自分を見る事が出来たら
自分に合った人生を選択することもできただろう。
兄弟姉妹とひろ江のギャップが大きいにも関わらず
彼等と同じ生活をしようとする。
いちサラリーマン家庭の主婦であるが
兄弟姉妹の生活を倣う。

毎日、習い事やテニスをして過ごす。

 

ひろ江が行く先には、子育て中の主婦は居ない。

子育てが終わった初老の女性ばかりがいる。

お金と時間に余裕のある人しか来ない場所である。

 

現実の世界では、周囲の母親は子供中心の生活を送っている。

田舎の街には、ハイステータスの人など少ない。

ひろ江は、子育て世代のママ友を知らない為

子供がどんな環境に居るかを知らない。

学校で何がおきているか、

田舎の学校がどんなに劣悪な環境か等・・・

気づく筈もない。

毎日、家とテニス場を往復するが

そこには子供と関係ある情報は無い。

 

傍から見れば、滑稽であるが

ひろ江は、その生活に疑問をもつことがない。

置かれた状況で優先順位が何なのか、

母親として何をしなければいけないか

考えが及ぶこともない。

 

又、子供にも兄弟姉妹と同じであることを望む。

しかし、兄弟姉妹になる為のステップを

考えることが出来ない。

 

    兄弟姉妹は何をやっても一番だった

         

    一番になれば、兄弟姉妹になることができる

 

と安直に考える。

 

それ故に、娘の成績がよくても満足をすることがない。
周囲の子供達が80点を取り
娘が95点をとっても納得しない。
95点でも 「うっかり間違いでも、ミスはミスだ、満足するな」
と鼻息を荒くする。
1科目で100点をとれば、
「この科目だけで満足するな」という。
ひろ江のエゴは留まるところを知らない。

 

考察:

 

ひろ江は、自分が誰かを完全に忘れているように見える。

子育て中、および人生の全期間をとおして

平均点すら取れなかったひろ江の姿はどこにも存在していない。

兄弟姉妹の人生を生きているように見える。

 

 

現実世界とひろ江自身のギャップが

いつも不自然な世界を造り出している。

ミスマッチは不幸である。

しかし自分が誰か判らなければ

置かれた環境に適応することは難しいだろう。

 

又、ひろ江には努力するという概念がない。

兄弟姉妹のようになる為に

建設的な目標をたてるという考えがない。

 

自分が誰か判らなければ

何をすればよいか、判る筈もなく

努力の方法など、見当もつかないかもしれない。

 

そもそも、ひろ江は時間の概念がなく

未来軸が存在しない。

未来の目標をたてること自体、不可能なのかもしれない。

 

ケーキの切れない非行非行少年たち』 の著者である宮口幸治氏が

「どうしても頑張れない人たち」が一定数存在することについて

同氏の新著 『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2』 

で紹介している(下記へ一部抜粋)。

筆者は、それがどんな状態なのか

目に見えるように判り

長年の謎が解けた思いがした。

 

ひろ江の自己認知力の低さについて

改めて深刻さを知ると同時に、

ひろ江の人生は

「舵取りの居ない船に乗っているような状態」に見える。

“進むべき方向へ導き、誤ったら起動修正をしてくれる“

ひろ江には、そういうキーパーソンが不可欠である。

これ程の障害がありながら

成人するまで、周囲の者が気づかなかったことも

驚くべきことである。

或いはパンドラの箱が開けられずにいたのであるか。

 

『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2』 【見通しの弱さの問題】

頑張るには、“こうなるためには、これをやったらこうなるから、

だからそこまで頑張ってみよう”といった、見通しをもつことが大切です。

この見通しの力は“探索の深さ”とも呼ばれ、

何ステップ先まで考えられるかに関係してきます。

 

しかし、認知機能が弱い人は、先のことを想像するのが苦手で、

せいぜい“これをやったらこうなる”といった1~2ステップ先くらいしか

見通せません。心理学者のハーマン・スピッツらの研究では、

知的障害児では探索の深さは1ステップであることが指摘されています。

 

例)漢字を覚える宿題を出される

          ↓

    ステップ1:ほめられる

          ↓

    ステップ2:やる気が出る

          ↓

    ステップ3:テストでいい点が取れる

          ↓

    ステップ4:いい学校に行ける

          ↓

    ステップ5:いい仕事につける

 

これだけの見通しがもてれば、いま漢字を覚える必要性が理解でき、

漢字を覚えようと頑張る気持ちに繋がります。

ただ、まだ子どもであれば長い見通しは難しいので、

見通せるのはよくて“いい学校に行ける”という4ステップ目くらいまででは

ないでしょうか。

 

ですので、いい学校に行きたいという見通しがもて、その気持ちが生じれば

頑張るわけです。

しかし知的障害など認知機能が弱いと1ステップしか先が見通せないことも

あります。

つまりこの例ですと“ほめられる”までしか見通しがもてていないのです。

(ステップ1) 漢字を覚える→ほめられる

                                        (著:宮口幸治)

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(次項へ続く)

#10.ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。

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前項「#9自己を認識できない・自分が誰か判らない」
では、ひろ江はアイデンティティが確立されておらず、
自分の考えをもたない。
又、ひろ江のキャラクターは統一性がなく、
別人になる瞬間があるエピソードを話しました。

ひろ江は突然ひどい人になる瞬間もあれば
ある時は、常識的なことを言う場面もあります。

しかしながら、咄嗟に出る言葉については
やはり、ひろ江の本心とは切り離せないものに見えます。

今回は、ひろ江のネガティブな言葉の影響力について
話したいと思います。

事例1.

 

ひろ江はテレビなどで、障害のある子供をみると

「死んでくれたら、親はどんなにホッとするでしょうね」

咄嗟に言うことがある。

 

当時、近所には軽度知的障害のあるR子が住んでいた。

娘達も時折、遊ぶ機会があった。

R子は、障害者として特別学級には通わず

普通学級に通っていた。

R子は高校生になったある日、

公園の木で首を吊って自殺を図った。

娘達にとってはショッキングな事件であった。

 

ひろ江は、R子に同情を全く示さず

「普通学級じゃなく、特別学級に通わせればよかったのよ」と

主観で親を批判した。

更に 「親は死んでくれてホッとしているに違いない」と言った。

ひろ江に温かい血が通っていないように見える瞬間である。

 

事例2.

ひろ江:43歳

次女 :16歳

 

次女と電車に乗っていた際のこと。

向かい側に座った男子の顔をみて、

「見て、あの子のアバタ面。あんなに酷い」

声を潜めることもなく、臆面もなく言う。

次女は咄嗟に立ち上がり、車両を移動した。

 

事例3.

 

ひろ江は、夫タカシとの結婚については、こう話す。

「お見合いをして、気乗りしなかったが

イヤだな、イヤだなと最後まで言いながら結婚した。」

 

離婚しない理由については、こう話す。

「離婚すると、おばあちゃん(実母)に心配をかける」

「貴方たち(娘2人)が居るので、しょうがない。」

 

ひろ江は、わずか10歳前後の娘にむかって、

「しょうがなく結婚し、しょうがなく今の生活を続けている」と話す。

娘にとっては、自分の存在を否定されるような言葉であり

百害あって一利もない話である

しかし、娘は母が幸せを選択できるように応援する。

離婚できるように、仕事を見つけてはどうかと勧める。

しかし、ひろ江は何かしら行動を起こすことはなく

毎日おなじルーティンを繰り返す。

ひろ江は愚痴を言い続けるが、建設的な意見を言うことは皆無である。

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考察:

 

「#4.空気の読めなさと非常識な発言」では

ひろ江は発達障害の症状ゆえに、非常識な発言をするのではないかと

考察した。

この項で述べる、ひろ江のネガティブな発言も

明らかに常識を外れている為、障害によるものと筆者は考えている。

 

一般的に、母親は子供に手本になるよう振る舞うことが多い。

出来なくても、それらしく見えるよう努めようとする。

ひろ江の場合、まるで悪い手本を見せようとしているかのようである。

子を想う母の姿ではなく、5~6歳の子供のように見える。

 

それが発達障害のためか、知性のためか、或いは人格障害なのか

筆者には判らない。

いずれにしても、障害であれば、周囲の理解へ得られやすいが

それと判らなければ、“人でなし“と思われてしまうだろう。

ひろ江は障害をオープンにした方が生きやすい筈である。

 

 

マザーテレサの格言にこうある。

「5つの気をつけなさい」

- 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
- 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
- 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
- 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
- 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

思考 → 言葉 → 習慣 → 性格 → 運命が変わる

まさに、この通りで

ネガティブな言葉の先には、どんな幸福もない。

 

 

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ひろ江は、自身の吐いた言葉通りの人間になり、

それがひろ江の生活環境をつくり、今の人生がある。

悪気がなかったとしても、ひろ江の吐いた言葉により

運気が滞り、人生は言葉通りに造られる。

 

現代でも有名な哲学書やそれに派生する著書がある。

 

「思考は現実化する」(ナポレオン ヒル)では

想いや思考が現実を作るという理論が書かれている。

人間の脳は、その人の思いを現実化してしまうと言う。

- 人間は自分が考えているような人間になる

- 意欲的な目標を立てれば、明日は今日よりもはるかに前進する

- 目標を持つだけでなく、それに向かった計画を立てること

という内容が書かれている。

 

引き寄せの法則」 (エスター・ヒックス/ジェリー・ヒックス)

思考(の波動)を通してさまざまなものを人生に引き寄せ、創造していると書かれている。

自分の中に周波数があり、その周波数にあったモノや人が引き寄せられてくる。

つまり・・・

「それ自身に似たものを引き寄せる」

「自分が考えたり意識したことが、現実として現れる」

依って、望まない結果も、実は自分自身が引き寄せているという。

 

インターネットが無い時代でも

日本では古来から「言葉には言霊が宿る」という思想があり

言語は表現の内容を実現することがあると言う。

 

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これだけ、古今東西で繰り返し、同じ格言を耳にする機会があるが

ひろ江は老年に至るまで、これらの言葉を耳にしなかったのであろうか。

 

ひろ江は言葉を選ぶことなく、空気を吐くようにネガテブな言葉を吐く。

これまで、身内の誰かしらが、忠告しなかったのも不思議である。

 

娘達は、母を悪く思うことができない為、

母の本心は悪気がないと、自分に言い聞かせる。

しかし、積極的に母と話したいとは思わない。

次第に足が遠のき、母との間に距離が生まれる。

いつでも、ひろ江と周囲の人には一定の距離がある。

 

繰り返しになるが、ひろ江のネガティブな発言は

年齢相応の常識や社会性が感じられず

障害によるものと筆者は考えている。

 

ひろ江は早い段階で受診をし

社会の理解やヘルプを得ながら暮らす方が

生きやすい筈である。

 

しかしながら、ひろ江は他罰的であり、内省することがない。

ひろ江の周囲には、常に不協和音があるが

自身の障害を夢にも疑わない。

障害とは死んでも認めないだろう。

 

早稲田メンタルクリニックの益田先生が仰るには

他罰の人は精神科にはほとんど来ないとのこと。

 

ひろ江を社会資源に繋げることは

並大抵ではない。

 

他罰的な人は心を病んだり

自責の念にかられることは無いので

精神科を受診しない。

Youtube Vol.6-9「他罰の人は精神科にはほとんど来ません」

【vol.6-9】他罰の人は精神科にはほとんど来ません / 家族関係の悩みが仕事に影響することも【精神科医・益田裕介/早稲田メンタルクリニック】 - YouTube

 

 

筆者は医師でもなく専門家でもなく、

ひとりの子供だった。

長年ひろ江をみてきたが、発達障害と結びついたのは

つい最近のことである。

発達障害に対する情報が広まったのは近年のことである。

筆者は、子供の頃から、ひろ江の言動が常識を外れていると思っていた為

発達障害の情報が、ひろ江のそれと繋がった。

 

当時は、発達障害はボーダーラインについて社会の認識なかった為、

世の中には、同じ境遇の子供達が沢山いると考える。

幼い子供であれば、親の障害を発見して受診を勧めるなど、

不可能に近い。

いまだに迷宮の中にいる方達を思うと

筆者は書かずにいられない想いになる。

 

#9自己を認識できない・自分が誰か判らない

 

 
 
見出し画像

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今回は、発達障害ゆえの、自己認識の無さについて
触れたいと思います。

発達障害者は客観的に自己認知して、得手不得手を理解したり、
人生の長期的なビジョンを描いたりするのが苦手である。
そのため空想的、非現実的、自己愛的な職業選択をすることがある…
しかし、彼らの特定分野へのこだわり…を活かせば、
才能を開花させる可能性がある (心療内科医 星野仁彦)

星野仁彦先生が上記で述べられているように
ひろ江も自己認識を困難とします。
実例をあげたいと思います。

自分が誰か判らない


ひろ江は自分自身について判らない事が多い。
得意、不得意、好き、嫌い、を含め
多くについて、気付いていない。
自分の意見も持たない。

ひろ江は毎朝、起床して一番に歯を磨くが
理由を尋ねられると、答えることが出来ない。

ひろ江は今の生活に不満をもち
本望ではない生活を送っていると言うが
どうなりたいかと尋ねられると
答えることが出来ない。

何事についても
理由を尋ねられると、答えることができない。

ひろ江は日常的に
近しい親族(兄弟姉妹、夫、娘)を悪く言うが
何が気に入らないのかと尋ねられると
暫し考えた後・・・
「家族想いじゃない」
と抽象的に答える。
じゃあ、具体的に何をして欲しいのかと
尋ねられると
答えることが出来ない。

全般について
ひろ江が自分の意思や考えを話すことはない。
過去の経験について語ることもない。
聞かれても答えられることは
非常に限られている。
ほぼ、無いに等しいと言っても過言ではない。

他者と自分の区別


ひろ江は、自己と他者の区別がつかない事がある。
無意識に別人になる事がある。

例えば、近所のAさんと話した場合、
Aさんの口調や語尾、言葉使いのみならず
キャラクターもAさんになり
暫しAさんになりきって話す。

親戚のBさんと話した直後は
暫し、Bさんのようになる。

また、世間の人を判断する際
ひろ江は、常に学歴を意識するが
その際、ひろ江は自身の兄弟姉妹になり替わる。

兄弟姉妹はエリート揃いで
常にトップの成績だったらしい。
彼等の学歴を基準においている為

「〇〇は、大したことない人間だ」
「〇〇は特段、優秀じゃない」
「その学校じゃ、どうってことない成績だ」・・等
全ての人を見下して話す。

平均点すらとれなかったひろ江自身は
そこには存在せず、
ひろ江は兄弟姉妹になり替わってしまう。
ひろ江は自覚していないが
第3者からみれば、
突然別人になったようなひろ江に、違和感をもつ。
又、大変不自然で奇妙である。

上記のように
ひろ江は自覚がないままに
別人になってしまう。

無意識だからこそ
病的に見えてしまう。
ひろ江は、自己を確立できていないように見える。

セルフイメージ1

長期的なビジョンを描けない


ひろ江は、パートなどで就労することを望まない。
自ら望んで専業主婦をしているが
自身の選択に気づかない。

子供に手がかからなくなっても
時間ができても尚、生活を変えることはないが
自らその生活を望んでいることに
気づかない。

望んだ生活が出来るのであれば
恵まれた環境だが
自身の幸せにも気づかない。
気づかないので感謝することもない。
常に、この生活は本望ではないと話す。

自己を知らなければ、 
セルフコントロールは困難である。
将来何をしたいのか、判る由もない。

加えて、もともと時間の概念がなく、
ひろ江には未来軸が存在しない。
長い人生の設計は
一生される事が無い。

時空のゆがみ 時計②

考察


ひろ江は、夫との結婚は本望ではなかったと話す。
タカシと見合いで会い
気乗りしなかったが
嫌々ながら結婚したと話す。

しかし、ほかの男性と結婚しても
ひろ江の生活は果たして違っただろうか。
基本的に、毎日おなじ事をくりかえす様子が
目に浮かぶ。
実際、ひろ江が違う生活をしている姿を
見たことがない。
ひろ江は、果たして
職業に就くことができたのだろうか。

ひろ江は五感、自己認識、魂、などが
ひろ江という個体の中で統合されておらず、
アイデンティティが形成されていないように見える。
その場、その場で考え方や発言が変わる。
ひろ江も自己を認識していない。

セルフイメージ3

自分のことが判らなければ、
他人に理解される筈もない。
ひろ江の人間関係は希薄である。

又、自己を知らなければ、セルフコントロールは困難である。
将来何をしたいのか、判る由もない。
判らなければ、行動を起こせる筈もなく
毎日同じ事の繰り返しである。
舵取りの居ない船のようなものである。
ひろ江の世界は混沌としているように見える。

意思をもたないひろ江は、
人生の岐路で決断ができない。
ひろ江には、誰かしらキーパーソンが
必要である。
ひろ江の障害を知り、何を困難とし、
どんなヘルプを必要としているのか、
生涯に渡り、適切なタイミングで適切な方向へ
舵取りをしてくれるような
誰かしらが必要である。

ひろ江が病識をもたず
誰にも気づかれないまま、暮らしてきたことは
ひろ江にとっては、幸せとは言い難い。

大人のひろ江に、いまさら助言できる人は少ない。
もっと早い段階であれば違っただろう。
本人がヘルプを望まない限り、
誰も助けることは出来ない。

夫亡きあとは、一人で暮らしていけるのだろうか。
行く末は混沌としている。

 

#8.感覚の鈍麻について

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人間には五感(視、聴、嗅、味、触)があります。

敏感な人は六感、或いはそれ以上をもつ人がいます。

 

ひろ江は五感に敏感ではなく、時として無いように見えます。

今回はひろ江の知覚についてお話します。

 

痛みの知覚について

ひろ江の、両足指の付け根が大きく変形し、

その為、指が前を向いていない。

変形が大きい為、関節リウマチにも見えるほどである。

 

いつから変形が始まったのかと尋ねると

 「痛くないから気づかなかった」 と言う。

通常、骨が変形するときの痛みは強く、

眠れない程の痛みである。

骨が変形する過程で、痛くないから気づかないというのは、

不思議な話である。

 

ひろ江はお産も痛くなかったという。無痛分娩だったらしいが、

麻酔が効く前後の痛みは誰でも経験する。

ひろ江は、お産の痛みがゼロだったかのように話す。

又、生理痛なども全くない。

ひろ江が痛み止めを内服する姿を見たことはない。

 

皮膚の感覚について

ひろ江は気温の寒暖についても、あまり感じていない。

勝手口のドアは、ペラペラのべニア板1枚なので

スースーと冷気が入ってくる。

底冷えする寒さなのだが

ひろ江は寒さを感じない。

 

暑くても寒くても、気圧が高くても低くても

気候の変化について口にすることがない。

台風の前など、気圧の低さに気付くこともない。

 

視覚について

ひろ江は視力が良く、裸眼だが

多くのモノが視野に入っていない。

例えば、誰かの様子がおかしい、雰囲気が違う、元気がない、等

視覚的な情報に気づかない。

他の人が気づき、ひろ江だけが気づかない事が多々ある。

 

紙芝居や、動画のような

単純明快なものは目に入り、反応をしめすが

そこに、何かしら想像の余地が含まれると、反応しない。

 

聴覚について

ひろ江の聴力は普通だが、多くの情報をキャッチしない。

聞こえていても、上の空で聞き逃したり・・・

或いは、何度も聞き返す。

 

又、否認も強く、聞きたくない情報はブロックしてしまう。

唯一、雑音には敏感で、聞こえると疲れるという。

 

その他

五感とは異なるが、人間には空間認知能力がある為、

距離感が、ある程度把握できる。

ひろ江は、他人やモノとの距離感がないのか、

他人と話す際に、ピッタリくっつくほど近づく事がある。

あるいは、目の前に危険物があっても気づかない事がある。

 

まとめ

 

ひろ江の場合、見たり聞いたり、感知した情報が
どこまで認識されているのか
脳でどう処理されるのか、或いはされないのか・・・

素人には判らない。

 

多くの情報がひろ江の中で留まることなく、

素通りしていく。

 

ひろ江に情報をインプットしても

処理された情報がアウトプットされることはない。

 

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考察:

 

発達障害には感覚過敏のほかに「感覚鈍麻」(※)があるという。

ひろ江がこれに該当するのかは不明であるが

いずれにしても、ひろ江は多くを感知していない。

 

感覚がないということは

時として、自身の身体を守ることができない。

実際、ひろ江は痛みを感じなかった為

足の変形を阻止することができなかった。

 

又、自身が感覚を持ち合わせていなければ

子供を危険から守ることは難しいだろう。

 

娘が身体の不調を抱えていても、ひろ江は気付かない。

症状を訴えられても、出来ることが限られている。

些細な症状でも、早期に対処しなければ、

いずれ慢性化して治りづらくなる。

案の定、万事がその通りになる。

 

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ひろ江の居る世界はどんな世界だろうかと、筆者は想像する。

時間軸がなく、認知する情報が少なく、知覚も少ない。

その世界は、彩のないモノトーンな世界なのではないだろうか。

それにより、感情も平坦化しているのではないか。

 

ひろ江が幸せであればそれで良いが

彼女は幸せを感じていない。

しかし、幸せを掴むために

何かしらの行動も起こさない。

アクションを起こさなければ何も変わらず、

明日も明後日も1年後も10年後も同じ毎日である。

 

ひろ江には、自由な時間と健康と、そこそこのお金がある。

やろうと思えば何でもできる。

しかし、ひろ江には意思がなく

幸せではない理由を他人のせいにする。

 

ネズミは回転車の上をくるくると走るが

そこには意思や目的がない。

ひろ江の人生にも、意思や目的というものが存在しない。

或いは、存在していてもそれが見えない。

 

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全ての行動について、

考えずに身体のみを動かしているように見える。

ひろ江がゴールにむかって

歩んでいる訳ではないことは確かである。

 

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世の中には、食べるためだけに精いっぱいの人が沢山いる。

せめて、ひろ江が恵まれた環境に気づくことが出来たら

幸せや感謝を感じることができるように思う。

 

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(※)参考情報

知られざる発達障害「感覚鈍麻」

“骨折しても痛くない” ~知られざる発達障害「感覚鈍麻」~|サイカルジャーナル|NHK NEWS WEB

 

 

#7.変化を受容できない・定型パターンへの執着

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ひろ江 

・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 / 娘2人(健常児)
・職歴なし

 

前項「#5ルーティン以外の選択肢をもたない」の項で

ひろ江の毎日は同じであり、昨日と今日、今日と明日、明日と1年後、

および10年後、20年後は

ひろ江にとって全部同じ日であると述べました。

又、それは子育てとは対極にあることも触れました。

 

この項では、ひろ江の育児について触れたいと思います。

 

変化を受容出来ないひろ江と育児

 

ひろ江は子供が日々成長して変化することを受容できない。

第二次成長期をむかえ、これまでにない速さで成長していく子供に対して、

ひろ江は全エネルギーと全余暇を使い

“子供が同じ状態であること”を保とうとしていた。

 

本来あるべきではない所に、ひろ江が発する強いエネルギーがあり、

それが不自然な気の流れを作っていた。

 

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次女は、第6感が大変強く、その不自然な気の流れをキャッチする。

母は、自分が子供のままでいることを願っている、と肌で感じる。

この頃、次女は日記に

「母は私が、いつまでも子供でいることを望んでいる」

と書いている。

 

次女が成長すればするほど、ひろ江のそのエネルギーは強くなり

次第にひろ江の執着ぶりは、ストーカーのようになっていく。

次女の変化を阻止すべく、全エネルギーを使おうとする。

次女の夢の中にもひろ江が登場するようになる。

夢の中のひろ江は執拗で、振り払っても離れることがない。

 

ひろ江はいつも直近のルーティンに向かって全力で急いでいるが

この時は、次女をめがけて全力で追いかけているような

錯覚を受ける。

ひろ江の顎や肩が次女にむかって突き出している様子からも

見て取れた。

 

陽子は、空気が薄く感じるようになる。

この頃から、次女の膝部分に軟骨が突出しはじめる。

外骨腫と呼ばれるものだった。

本来ない筈の場所に軟骨が形成されていく症状である。

後にこれは手術で切除することになる。

 

又、同じ時期から次女は心身に不調を来たし始める。

一番判りやすかったのは、悪夢をみるようになり、

朝の目覚めがよくないことである。

又、教科書や本を開いても活字が頭に入らない。

目は字を追っているのだが、内容が頭に入らない。

スッと意識が吸い込まれて昏睡することもある。

当然ながら、学業は不可能な状態になった。

明らかに病気と自覚したので受診が必要と思い、ひろ江に話す。

ひろ江は「そんな話は、聞きたくない」とヒステリーを起こし

話をブロックする。話はそこで終わってしまう。

ひろ江はイレギュラーには対応できず

問題解決能力は皆無である。

健康保険証はひろ江がもっているので自身で受診することも出来ない。

 

当時はスクールカウンセラーなども居ない。

子供は親を悪く言うことができない為、周囲に相談する事も出来ない。

まさにこのタイミングから、次女の人生が変わっていくことになる。

 

だんだん、軌道が狂い始めた陽子をみて、

ひろ江は、夫に 「陽子は自分に心配をかける。本当に嫌な子だ」 と

話すようになる。

 

ひろ江の理屈ではこうなる。
『定型パターンから外れると、自分は心配である
心配させる陽子が悪者であり、嫌な子である。』

 

娘の悪口を聞き、タカシは陽子を怒鳴りつける。

陽子の症状は更に悪化していく。

 

ひろ江は普段から、身内(兄弟姉妹、その子供、自身の娘、夫など)について 

“いい所のない人間だ” と悪く言う。
悪気は全くないが、事実と自分の感情を言語化できない為、
その感情を身内の悪口に置き換える。
ひろ江にとって、一番てっとり早い替わりの表現が
身内を悪者にすることである。
何ひとつ解決策にはならないが、ひろ江には判らない。

 

この頃は、次女がターゲットになり
「陽子はいいところがない、(だから私は被害者だ)」と
ほぼ毎日のように夫タカシに話すようになる。
家の中は、常にひろ江の悪口とタカシの怒鳴り声が続く。

 

陽子は適切な時期に治療をうけることが出来ず
成人してから、後に拒食症へと発展していくことになる。
拒食症は、母親との関係が影響していると医師から言われることになる。

考察:

このブログでは、スピリチャルな内容や主観は除き、

なるべく事実に基づいて記載をしているが

この時のひろ江の歪んだエネルギーは、確実にそこに存在していた。

本来あるべきではない所に、ひろ江が発する強いエネルギーがあり、

気の流れが変わっていた。

第6感の強い次女は、それを感知する。

 

一般的に、親は子供の成長を促すものであるが

ひろ江は明らかに次女の成長を望んでおらず

“変化のない状態“ 固執し続ける。

又、ひろ江の興味の対象は娘だけである。

ひろ江は、持ちうる全エネルギーと余暇を使って、次女に執着する。

 

発達障害の特徴として、下記があげられている。

-      いったん興味を持つと過剰といえるほど執着、愛着または没頭をしめす

-      同一性への固執、同じ習慣への異常なほどのこだわりを見せることがある

-      規則が崩れることを極端に嫌う傾向がある

 

この例に倣うとすれば、・・・

成長期の娘の変化を許容できないとひろ江は

障害ゆえだったかもしれない。

障害であれば、たしかに責任能力もないのだろう。

しかし、責任能力がなければ、何をしてもよいのだろうか。

 

映画『アイ・アム・サム(※)では、

適切なタイミングでソーシャルワーカーが関与し

慈悲深い里親が現れ、娘はひきとられる。

ハッピーエンドで終わる。

 

(※)『アイ・アム・サム』:サムは知的障害をもつ為、養育能力がないと判断され、娘は里親へ引き取られる。

 

しかし、ひろ江のように他人から障害が判らない場合は、ヘルプを得るのは

大変難しい。

ひろ江の人間関係は希薄で、ひろ江をよく知る人はいない。

 

ひろ江によって、娘たちは多くの情報を遮断され

社会との関わりを制限され、失われた時間がある。

昨今、流行っている親ガチャと言う言葉がある。

まさに、子供は親を選ぶことはできない。

アイ・アム・サム』ではソーシャルワーカーが関与し、親権者を変えるが

現実の世界では親を取り替えるなど、到底無理な話である。

 

子供は独立してから自力で、失われた時間を

取り戻していくしかないのであろう。

映画と現実は異なる。

 

このような現実に、社会が目を向けてほしいと筆者は思う。

発達障害の子をもつ親御さんへの情報は多く目にする。

しかし、知的障害者発達障害をもつ方に、

必ずしも保護者がいるとは限らない。

気づかれないまま大人になり、結婚し子供が生まれ

子供がヤングケアラーとなっている場合がある。

もしくは虐待の対象になっている事もある。

 

ひろ江のような存在は世の中に知られていない。

或いは、臭いものに蓋をするかのように、

パンドラの箱は開けられない場合もある。

少なくとも、ひろ江の家族の誰かしらは気づいていたのではないか。

エリートの兄弟姉妹とひろ江は誰がみても違いが大きい。

単なる出来の悪い子供と思っただろうか。

健常人として結婚をさせるしか、道はなかったのだろうか。

 

筆者は、このブログを通して、なるべく事実を伝えていくつもりである。

少しでもどなたかの参考になればと思う。

 

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#6.ルーティンを変えることが困難

 

これまで、ひろ江は時間の概念をもたず、

目先のルーティンが最優先であることを何度か述べました。
今回は、どんな事があってもルーティンをやめられない事例を

詳細にあげたいと思います。

 

ひろ江 
・軽度知的障害・発達障害(この時点では診断されていない)
・専業主婦 / 娘2人(健常児)
・職歴なし

 

 

事例 1. ルーティンを変えられない ①

ひろ江は年齢の離れた末っ子で、実母のタエコに大変可愛がられて育った。
その為か、ひろ江は実母が大好きだった。
88歳になっても、長男宅への同居に応じないタエコを見て、

ひろ江は、自分が引きとると言い出した。
こうして、タエコは88歳からひろ江の家で同居を開始することになる。

 

タエコは年齢相応に歯が無いため、普通米を咀嚼できず、

お粥に近い軟飯を炊く必要がある。
ひろ江は、何故か家族全員分の軟飯を炊いて食卓に出すようになった。
普通米を食べられる家族に軟飯を出すのは奇妙である。
「不味い」と言われても、「普通通りの水加減で炊いた」と言い張る。

 

案の定、夫タカシの機嫌が悪くなっていく。
耐えかねたタカシに怒鳴られると、翌日は普通米を炊く。
咀嚼できないタエコにもそれを出す。

 

1日目:
タエコが普通米を食べられない事を承知の上で、タエコに普通米を出す。
食事が始まると「どう、食べられる?」 とタエコに聞く。
「食べられないんじゃないの?どうなの?まあ、大変」と立ち上がり
バタバタと、替わりの食材を作り始める。(※1)

 

2日目:
翌日はタエコの為に軟飯を炊き、それを家族全員へ出す。
タカシの機嫌が悪くなり怒鳴られる。(※2)

 

3日目:
その翌日は普通米を炊き、タエコにも出す。

(※1)と同様の会話が始まる。

 

4日目:
その翌日は軟飯を炊き、家族全員へ出す。

(※2)と同様の会話が始まる。

 

上記(1)と(2)が交互に繰り返される。
1度や2度ではなく、毎日繰り返すひろ江は狂気に見えるが、正気である。

 


歯のない祖母は

何日経っても普通米を食べられるようになる筈がない。
それにも関わらず1日おきに普通米を出し、

「どう食べられる?」と都度、真顔でたずねる。
ひろ江を知らない人であれば、意地悪をしていると思うだろう。

 

タエコは穏やかな性格なので、怒ることはない。
「困ったな・・・ご飯が石のように硬くて食べられない・・」と

本当に困った顔をする。
見兼ねた次女は、1人分のお粥を電子レンジで作る方法を教える。
複数の方法を教えるが、ひろ江は試そうともせず、

頑として方法を変えようとしない。

 

タエコが同居するようになってから、タカシの機嫌は日ごとに悪くなっていく。
ひろ江を怒鳴る回数も増えていく。
家の中は前にも増して暗くなり

タエコが暮らしやすい環境には見えなかった。


事例 2. ルーティンを変えられない ②

 

娘たちが小学校へ通っていた頃のこと。
朝食はいつもパンだった。ひろ江はトーストを毎朝焦がす。
トーストを焼くにはスイッチを2~3に設定すれば十分であるが
ひろ江は力任せに5~6まで捩じる。

当然ながらトーストは焦げて煙があがる。
煙があがると突進していき、トーストを引っ張り出し

包丁でガリガリと焦げをおとし、

焦げてない面をうえにして皿にのせ平然と出す。

 

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毎日同じことを繰り返す母を見て娘は
「誰が焼いても絶対に焦げない方法があるので知りたい?」と聞く。
ひろ江が知りたいと言うので、トースターのところへ連れていき、メモリを見せ
「トーストは2と書いてある、メモリをここに設定すれば誰が焼いても焦げない。」と説明する。

 

しかし翌日以降も、ひろ江は力任せにスイッチを5~6まで捻り、焦がし続け
「焦げているほうが香ばしくて美味しい」と言い続ける。

娘たちは「自分のパンは自分で焼くので香ばしいパンは自分で食べるように」と

言ったところ
ひろ江はパンを捨て続けることになる。

 


捨てるのは経済的ではないと思ったのか、

ひろ江はようやくパンを焼くのをやめる。

ひろ江は経済的に損失を被ると行動を変えることがある。
それ以外の理由では変わることはなく、

基本的に毎日同じ行動を繰り返す。

 

考察:

 

ひろ江はルーティンを変えることが困難である。
上記の事例は、第3者がみれば狂気のようにみえてしまう。

ひろ江の症状は極端であり自閉症の症状にも近いように思う。


ルーティンの変更を受け入れることが難しいため慣れ親しんだ方法に固執する

 

もしくは”時間の概念の欠如により、先の事を見越せない” 為もあるのだろうか。
いずれにしても、家族の理解の範囲を超えている。家族は専門家ではない。
ひろ江の周りにはいつも不協和音がある。


ひろ江に対して怒らないのは、実母のタエコだけである。

早期にヘルプを得られたなら、本人も家族もどんなに助かったことか。
子供の時に発見されていれば、支援を得て生きられただろう。

 

誰にも気づかれず、今まで放置されているのが不思議である。
グレーゾーンにすら居ないのではないだろうか。
もしかすると、5~6歳程の知能しかないのではないだろうか。

 

筆者はこの記事が、誰かの目に留まることを切に願い、詳細に書いている。

#5ルーティン以外の選択肢をもたない

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ひろ江が時間の概念をもたないことは、前項で述べましたが、この項ではひろ江の最優先事項であるルーティンについて述べます。

 

ひろ江とルーティン

ひろ江の生活においては、ルーティンが最優先事項である。急ぎの用事が無くても、直近のルーティンを終えるために、いつも急いでいる。
ほぼ定型化された日課を毎日繰り返し、定型から外れることは無い。

 

ルーティンから外れないので、ひろ江の人生には登場人物が居ない。
近年(この30年程)、ひろ江は下記の定型を繰り返している。
   1. 起床
   2. 朝食
   3. 洗濯
   4. 昼食
   5. スーパーへ買い物
   6. 夕食
   7. プール
   8. 就寝

2が終わったら、3のために急ぐ。3が終わったら4の為に急ぐ。4が終わったら5の為に~・・・という具合に、常に急いでいる。今この瞬間を大切にするという発想がない。

                                      
ある春先、飼っていた愛犬のコータが老衰で死ぬ間際のことである。コータは死期が近く、日中ほとんど横になって過ごしていた。

ひろ江がルーティン7(プール)へ向かおうとしたところ、コータは突如、追いかけてきた。ひろ江の前まで来るとバッタリと倒れた。おそらく最後の力を振り絞って追いかけてきたのだろう。

 

ひろ江は愛犬を玄関のタタキまで運び、そこへ寝かせた。そのまま息を引き取るであろう愛犬を残して、ルーティン7へ向かった。


ひろ江がルーティン7から帰ると、案の定、愛犬は息をひきとっていた。
「プールから帰ってきたら、死んでいた。」とひろ江は話し、さすがに悲しんでいた。


ひろ江はコータを心から可愛がり、いつも一緒に過ごしていた。それにも関わらず、愛犬の死ぬ間際、息を引き取る瞬間に看取らない理由が不明である。プールは明日も明後日も、土日も祝日も不休である。


又、ひろ江は毎日プールへ行くが、そこには目的がない。水泳をマスターする目的はなく、インストラクターを目指すわけでもない。「泳いで帰ってくれば、疲れて寝るだけだから楽だ」と話す。
それでも尚、愛犬の看取りよりもルーティン7(プール)を選択する。

 

このように、ひろ江がルーティン以外を選択することは先ず無い。愛犬の例は一つの事例に過ぎず、万事において同様である。

 

ひろ江と育児


子育てをしていた際は、子供をもルーティン内に収めようとしていた。
子供の成長は早く、日々刻々と変化していく。クラスが変われば友人も変わり、興味の対象も変わり、新しい事に関心をもつ。心身の成長が早く、日々、アップデートしていく。子供はルーティンとは対極にある。


ひろ江は、子供の変化も望まず無理やりに定型にはめようとする。新しい情報を得ないようにTVを見せず、友人と遊ぶのを反対する。

子供が居間に居ることを望まず、子供部屋に入れておくことを望む(変化が何も無い状態をひろ江は望んでいる)。子供部屋に閉じ込めている間、何もアップデートが無いとひろ江は考える。


当時は、第2次ベビーブーマーが多く、町内に同じ年齢の子供達が沢山いた。おなじ保育園~中学校へ通うため、親同士が顔を合わせる機会も多い。しかしひろ江はママ友と世間話をすることも無い。ひろ江はその後も同じ場所で暮らすが、どこのコミュニティへ所属することもない為、子供の置かれた環境を把握する事はない。


子供時代の時間は貴重で、1分1秒と無駄にできないが、ひろ江には時間の大切さが判らない。ルーティン以外の事には反対し、反対する理由を尋ねられると説明することが出来ない。


子供は多くを見聞きし、体験する事で成長していくが、ひろ江は子供に見聞録をさせたいとは思わない。ひろ江の最優先事項は”毎日が同じであること”である。


ひろ江が望んでいる状況(毎日が同じで変化がないこと)と、子供が成長することは両極端にあった。

 

考察:

 

ひろ江の視野には、成長という文字がない。昨日と今日、今日と明日、明日と1年後、10年後、20年後、すべてが同じ日である。実際に、ひろ江はこの30年間、毎日同じ事を繰り返している。おそらく残りの30年も同じことをすると予想がつく。

 

オリの中のネズミは回転車に乗ってカラカラ走るが、そこには理由もなく意思もない。ひろ江の行動はそれに似ていて、すべての行動に理由がない。理由を尋ねられると 「毎日しているから」と言う。

 

ひろ江は家事をしている間、何も考えずに手足だけを動かしている。何かを考えているひろ江を見ることは無い。

 

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ひろ江は視力も聴力も問題ないが、多くの事に気づかない。例えば、誰かの顔色が悪い、雰囲気が違う、元気がない、様子がおかしい、等の視覚的情報もキャッチしない。耳が聞こえているが聴覚情報の多くもキャッチしない。多くの情報がひろ江の中で留まることなく、素通りしていく。


ひろ江の居る世界には彩があるのだろうか。情報が極端に少なく、色彩の薄い、平面的な世界に居るのではないだろうか。

 

筆者は、ひろ江を見ているだけで息苦しくなることがあるが、ひろ江は何も感じていないように見える。もしかすると、彼女にとって今の生活が幸せなのかもしれない。しかしながら、彼女は自身の幸せに気づくことはない。

 

ひろ江が常に、直近のルーティンに向かって全力疾走しているのは、時間の概念が欠如していることと関与があるのかもしれない。

 

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