Esnus’s blog

知的障害者の母親を持つということ

#5ルーティン以外の選択肢をもたない

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ひろ江が時間の概念をもたないことは、前項で述べましたが、この項ではひろ江の最優先事項であるルーティンについて述べます。

 

ひろ江とルーティン

ひろ江の生活においては、ルーティンが最優先事項である。急ぎの用事が無くても、直近のルーティンを終えるために、いつも急いでいる。
ほぼ定型化された日課を毎日繰り返し、定型から外れることは無い。

 

ルーティンから外れないので、ひろ江の人生には登場人物が居ない。
近年(この30年程)、ひろ江は下記の定型を繰り返している。
   1. 起床
   2. 朝食
   3. 洗濯
   4. 昼食
   5. スーパーへ買い物
   6. 夕食
   7. プール
   8. 就寝

2が終わったら、3のために急ぐ。3が終わったら4の為に急ぐ。4が終わったら5の為に~・・・という具合に、常に急いでいる。今この瞬間を大切にするという発想がない。

                                      
ある春先、飼っていた愛犬のコータが老衰で死ぬ間際のことである。コータは死期が近く、日中ほとんど横になって過ごしていた。

ひろ江がルーティン7(プール)へ向かおうとしたところ、コータは突如、追いかけてきた。ひろ江の前まで来るとバッタリと倒れた。おそらく最後の力を振り絞って追いかけてきたのだろう。

 

ひろ江は愛犬を玄関のタタキまで運び、そこへ寝かせた。そのまま息を引き取るであろう愛犬を残して、ルーティン7へ向かった。


ひろ江がルーティン7から帰ると、案の定、愛犬は息をひきとっていた。
「プールから帰ってきたら、死んでいた。」とひろ江は話し、さすがに悲しんでいた。


ひろ江はコータを心から可愛がり、いつも一緒に過ごしていた。それにも関わらず、愛犬の死ぬ間際、息を引き取る瞬間に看取らない理由が不明である。プールは明日も明後日も、土日も祝日も不休である。


又、ひろ江は毎日プールへ行くが、そこには目的がない。水泳をマスターする目的はなく、インストラクターを目指すわけでもない。「泳いで帰ってくれば、疲れて寝るだけだから楽だ」と話す。
それでも尚、愛犬の看取りよりもルーティン7(プール)を選択する。

 

このように、ひろ江がルーティン以外を選択することは先ず無い。愛犬の例は一つの事例に過ぎず、万事において同様である。

 

ひろ江と育児


子育てをしていた際は、子供をもルーティン内に収めようとしていた。
子供の成長は早く、日々刻々と変化していく。クラスが変われば友人も変わり、興味の対象も変わり、新しい事に関心をもつ。心身の成長が早く、日々、アップデートしていく。子供はルーティンとは対極にある。


ひろ江は、子供の変化も望まず無理やりに定型にはめようとする。新しい情報を得ないようにTVを見せず、友人と遊ぶのを反対する。

子供が居間に居ることを望まず、子供部屋に入れておくことを望む(変化が何も無い状態をひろ江は望んでいる)。子供部屋に閉じ込めている間、何もアップデートが無いとひろ江は考える。


当時は、第2次ベビーブーマーが多く、町内に同じ年齢の子供達が沢山いた。おなじ保育園~中学校へ通うため、親同士が顔を合わせる機会も多い。しかしひろ江はママ友と世間話をすることも無い。ひろ江はその後も同じ場所で暮らすが、どこのコミュニティへ所属することもない為、子供の置かれた環境を把握する事はない。


子供時代の時間は貴重で、1分1秒と無駄にできないが、ひろ江には時間の大切さが判らない。ルーティン以外の事には反対し、反対する理由を尋ねられると説明することが出来ない。


子供は多くを見聞きし、体験する事で成長していくが、ひろ江は子供に見聞録をさせたいとは思わない。ひろ江の最優先事項は”毎日が同じであること”である。


ひろ江が望んでいる状況(毎日が同じで変化がないこと)と、子供が成長することは両極端にあった。

 

考察:

 

ひろ江の視野には、成長という文字がない。昨日と今日、今日と明日、明日と1年後、10年後、20年後、すべてが同じ日である。実際に、ひろ江はこの30年間、毎日同じ事を繰り返している。おそらく残りの30年も同じことをすると予想がつく。

 

オリの中のネズミは回転車に乗ってカラカラ走るが、そこには理由もなく意思もない。ひろ江の行動はそれに似ていて、すべての行動に理由がない。理由を尋ねられると 「毎日しているから」と言う。

 

ひろ江は家事をしている間、何も考えずに手足だけを動かしている。何かを考えているひろ江を見ることは無い。

 

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ひろ江は視力も聴力も問題ないが、多くの事に気づかない。例えば、誰かの顔色が悪い、雰囲気が違う、元気がない、様子がおかしい、等の視覚的情報もキャッチしない。耳が聞こえているが聴覚情報の多くもキャッチしない。多くの情報がひろ江の中で留まることなく、素通りしていく。


ひろ江の居る世界には彩があるのだろうか。情報が極端に少なく、色彩の薄い、平面的な世界に居るのではないだろうか。

 

筆者は、ひろ江を見ているだけで息苦しくなることがあるが、ひろ江は何も感じていないように見える。もしかすると、彼女にとって今の生活が幸せなのかもしれない。しかしながら、彼女は自身の幸せに気づくことはない。

 

ひろ江が常に、直近のルーティンに向かって全力疾走しているのは、時間の概念が欠如していることと関与があるのかもしれない。

 

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